家庭での過ごし方

新型コロナウィルスの影響により、家庭で過ごすお子さんたちが一気に増えています。だから「ITを使って学習できますよ!」「楽しそうな学びになりそうな取り組みのアイデアがありますよ!」といった情報がたくさん出回っていますよね。すると、「ああ、うちの子も、ゲームばっかりしてないで、こんなことやってくれたらいいのになあ」と思ってしまうかもしれません。でも、そんなときは、「本人のコンディション」と「順序」を重視することが大切ではないかと思います。そうでないと、一時的に取り組んだとしても、すぐにやめてしまうかもしれません。見るからに良さげならいい、とも限らないんです。

脚を骨折した人には、早く走れるようになって欲しいですよね。でも、いきなり「走りなさい」という人はいません。では「せめて歩きなさい」と言うでしょうか?これは、本人の骨折の状態次第ですよね?「学校に行かないのはいいけれど、せめてこれくらいは」という考えの前に、本人がリハビリに取り組むべきコンディションかどうかを見なくてはなりません。なぜなら、「せめてこれくらいは」で、一層こじれることが多いのです。

まず、子どもの心に、骨折に相当するような、対人関係や自信、或いは学習や進路等についての心理的なダメージがないかどうかを考えていただきたいと思います。それがあるかないかは、非常に大きいと思います。「痛みがあるから避ける」ので、痛みが軽減されることが先です。そうでないと、「ハードルを下げたからいいだろう」と取り組ませても、子どものイメージは悪化するばかりかもしれません。

痛みを避けるには、「もう一度やってみようかな」と子どもが思わねばなりません。ハードルを下げた楽し気な提案以前に、「もう一度人間を信じてみようかな」「もう一度自分を信じてみようかな」というような思いに至らないと、警戒心から回避したくなってしまいます。コンディションが良くなってくると、ちょっとした痛みに耐えてリハビリしようと考えるわけです。良くないのは「自分だって気にしているけど、痛みが強すぎて今はできないんだよ!」ということを提案されてしまうことです。「理解されていない」と受け取ってしまいます。

脚の骨折のリハビリって、最初はとても地味ですよね。地味ということは、無理がないわけです。それでも痛みや怖さは人一倍です。だから、心にダメージがあった場合も、見かけではなく、いかにも取り組んでいる風でもなく、小さな痛みに配慮された前進、あるいは保留、あるいは後退といったサポートが大切ではないかと思います。少なくとも、「良かれと思ってこじれる」といったことが大幅に減るのではないかと思います。

いっぽう、コンディションが上がってきているのに、周囲が本人の自立を妨げてしまうこともあります。その判断は、「本人の不安と欲求のバランス次第」です。「つまらない」「家の中にいてもイライラする」このような場合、欲求が高まっているのに、不安や他の理由で実行に移せないわけです。そんな場合には「何かさせてあげないと」と焦っても、「不安や他の理由」がやはり実行を妨げてきますから、何をしたらいいやら、わからなくなってくるでしょう。そんなときは、オロオロしなくていいんです。子どもの自立心がムクムクと高まっていると、イライラしてくるんです。親がオロオロしていると、なんだか親のせいみたいじゃないですか。

そんなときは、たいてい「親しい他者との人間関係」を欲しています。多少イライラが高まってきてからその子が会いたい人と会えるような方策を考えましょう。そのタイミングが早すぎると、実現が近づくにつれて欲求を不安が上回ってドタキャンしたくなってしまうんです。だから「つまらないと言いながらも動けずにイライラしている」というのは、見ていて親も不安になってきますが、このタイミングを少し待つというのも大切ではないかと思います。

地味な取り組みというのは、必ずしも悪い取り組みではないんです。

                                         文責:矢嶋

 

 

 

2020年04月06日