ホームエデュケーション Q&A

 

  • Q1 ずっと家にいることを許しても社会性は大丈夫なのでしょうか?
  • Q2 昼夜逆転で好きなことばかりしている子どもの生活が荒んでいて心配です。
  • Q3 子どもの学力が心配です。最低限の基礎学力くらいは身につけさせたいです。
  • Q4 具体的に何から始めたらいいでしょうか?
  • Q5 ホームエデュケーションって、甘やかしでは?
  • Q6 ホームエデュケーションにとって大切なことは?
  • Q7 子どもが不登校です。親の子育てが間違ったのかしら?
  • Q8 将来、経済的に自立できるかどうか心配です。

Q1 ずっと家にいることを許しても社会性は大丈夫なのでしょうか?

 ホームエデュケーションについて社会性を心配する方はたくさんいらっしゃいます。それはおそらく、学校や社会生活に挫折を感じて他者との交流を避けたり、家庭にこもったりする人が多いせいだと思います。もしもそうだとしたら、その人がそうなったのはホームエデュケーションのせいでしょうか?

 一度大きな挫折や不適応を味わった人が他者との交流を避けたり、家庭にこもったりするのは、たぶん「懲りて」しまったのではないでしょうか。それが原体験となってしまってはいないでしょうか。だとしたら、その人が再び他者や自分自身への信頼を取り戻すためには、単にその人を外の世界に出せば良い、学校に戻せば良い、ということにはならないでしょう。

 ホームシューレでいちばん求められている活動は「交流」です。学校ではうまくいかなかったけれど、もういちど友だちをつくりたい、安心できる自分の居場所が欲しい、自分を価値ある存在として受け止めてもらいたい・・・。そういう思いで、緊張しながらも少しずつ人と関わっていこうとする人が多いです。

 子どもの社会性を犠牲にするためにホームエデュケーションを選ぶ親はいません。むしろ、子どもの社会性が再び発揮できるようにと選んでいると思います。

Q2 昼夜逆転で好きなことばかりしている子どもの生活が荒んでいて心配です。

 学校へ行かなくなった子どもの多くは、一度はそのような状態を経験します。まるで「うつ状態」そのものに見えたり、食欲が失せたり、不安で眠れなくなったり、昼夜逆転したり、感情の起伏が激しくなったり、趣味に異常なほど没頭したり、部屋に立てこもったり・・・。

 それは、なぜでしょうか。たぶん、ものすごくガッカリしたんじゃないでしょうか。学校、友だち、先生、世の中、そして自分自身。少し大人に近づいて、家庭の外の世界に触れ、その子なりに努力した結果、残念ながら心のエネルギーが切れ、大きな喪失感とともに家庭に戻ったのではないでしょうか。

 心のエネルギーが切れたら、すぐには明朗快活に動けたりしません。気持ちが落ち込んだら、日常生活もしんどくなります。そんなときに正しい生活習慣を求めても、それを実行するだけのエネルギーがないと続けられないのです。そこに至るまでがどうだったにせよ、その時点では明朗快活に動きたくても、それだけの心の状態にないのです。頑張った子どもほど、そうなりやすいのです。

 子どもの生活の荒み方は、その子どもの心が反映されてはいないでしょうか。だとしたら、生活習慣の改善の前に、子どもが好きなことから徐々に始めるほうがいいでしょう。「好きなことしかしない」と嘆いている人は、「好きなこともできなくなった」場合と比べてみてはいかがでしょうか。

Q3 子どもの学力が心配です。最低限の基礎学力くらいは身につけさせたいです。

 「基礎学力」というと、「基礎的な学ぶ力」と解釈してしまいそうですが、基礎学力は学校などで身に付けた諸教科の基本となる知識や技能を指すことが多いようです。そのような学力を身に付けるためには、そのさらに下にある「学びの基礎」というべきものを先に身に付ける必要があると思います。

 たとえば病気やケガに苦しむ人は学習どころではありません。それらを治癒することが学習への近道です。安全を脅かされている人も、安全を確保することが学びの基礎につながります。

「家族から問題児扱いされていないかどうか」「人間関係への不安や恐怖心は和らいでいるかどうか」「学習に意欲的に向かおうとするだけの心の余裕があるかどうか」などは、基礎学力獲得の際、大きく影響します。

 「ホームエデュケーション」といいますと、なんだか在宅の通信教育のようなイメージがあるかもしれませんが、在宅で学校のような教材を使った教育が継続的に実施可能な家庭は1割にも満たないでしょう。実施したとしても、「学びの基礎」がなければ、かえって勉強嫌いになってしまうかもしれません。

 ホームシューレで教科学習を積極的にしている人たちの多くは、学びの基礎ができており、そのうえで「高認取得や受験を目標にしている人」「すでに進学している人」「趣味で習い事をしている人」「家庭教師に教わっている人」「目的意識や動機があって学習している人(ホームシューレの学習サポートなど)」です。基礎学力を身につけるためには、まず学びの基礎を固めていくところからだと思います。

Q4 具体的に何から始めたらいいでしょうか?

 保護者の抱きやすい心配といえば、「学力」「学校復帰」「進学」「就労・経済的自立」」「人間関係」「健康的な生活」などではないかと思います。では、それらをたくさん心配したら問題は解決に近づくでしょうか?

 じつは、子どもの挫折経験は「たった1回の不登校」だけではなく、複数の挫折経験が折り重なっていることが少なくありません。それらは「こうしたほうが将来のためにいい」「他のみんなはこうしている」「これくらいできなくては困る」といった周囲の「良かれと思っておこなった働きかけ」が関係していることが多いとも言えます。

 では、何が間違えやすいのか。子どもに対していろいろなことを願うのは保護者として当然です。だから、願いが間違ったわけではありません。間違ったとすれば、「個々のチャレンジの具体的内容が、その子の成功体験としてのイメージに結びつかなかったこと」ではないでしょうか?だからこそ、一見学校に適応していたように見えていた子でも、不登校になったりするのです。

 だから、具体的にまず始めたいことは、「この子のために早く〇〇をさせないと」という観念や焦りをとりあえずお休みして、これ以上挫折経験を増やさないことではないでしょうか。こんなことを言うと、あたかも子どもを放置して好きなことばかりさせていればいいなどと言っているように受け取られる方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。

 保護者は「今の子どもには〇〇は無理そうだから、もっとハードルを下げてこれをこうしたらどうだろう」と考えやすいものです。間違いは、「ハードルを下げたからいいだろう」と考えて、実際にさせてしまうことなんです。「フリースクールなら通えるのではないか」「通信制高校なら卒業できるのではないか」と、ハードルを下げているようですが、「それが子どものニーズに対するオーダーメイドなのか」といえば、必ずしもそうではありません。結局、既存の「ハードルを下げたチャレンジ」を提示しているだけなんです。

 オーダーメイドの場合は、ボトムアップ式ですから、現状の子どもについてよく知ろうとし、本当に子どもがチャレンジするにふさわしいこと、やって良かったと思えることから始めることができます。「そんなことをしていては、いつまでたっても生きていくのに必要な進路に至れないのではないか」という考えがあるかもしれませんが、実際にはどうでしょうか?私たちの経験で言えば、挫折経験の多い人のほうが、佇むしかないような状態に置かれているように思います。

Q5 ホームエデュケーションって、甘やかしでは?

 これはありがちな誤解で、非常に迷惑しています。子ども・若者への対応は、その子・その時に応じて変わりますし、変化していくものです。

 たいていの場合、不登校を契機としているような場合には、「ホームエデュケーション以前の経験」が影響して、子どもの心が荒んでいたり、意欲が著しく低下していることが多いわけです。不登校は、いわば「その子の主体性に危機が訪れ、それを守るための行動」だと考えます。そのような時期には、早期対応を図ろうにも、子ども自身が受け付けないでしょう。では力で強制すればいいのでしょうか?それはかなり危険な賭けだと思います。割に合わない賭けでしょう。

 たしかに、そうした時期の子どもを見ていると心配になってくるかもしれません。ゲームやネットなどの娯楽ばかりに熱中し、生産的なことはせず、非常に刹那的に生きているようにしか見えないでしょうから。しかし、そうした観点を持ち続けることで、かえって子どもがその状態から抜け出せなくなることは多いように思います。

 なぜかといえば、ほとんどの子どもには社会的欲求や尊厳欲求があり、家庭内で気持ちが大きく落ち着いてくると、徐々に「家の中にいるのではつまらない・面白くない」と感じやすくなってきます。すると、保護者に向かって「つまらない」と言い出すようになります。これは、「外の世界に不安はありつつも、かといって家の中にずっといるのも飽きた」というような意味です。不安はそれを補うような経験がないとなかなか小さくなりませんが、「飽きること」は次の段階を求めることにつながります。だから、家庭内で不登校・引きこもり状態を否定的に見られ。批判されている子たちはなかなか家庭内で精神的に落ち着きません。日々、劣等コンプレックスが刺激されているようなものです。

 子ども・若者の社会的行動を妨げているのは、社会や社会に出たときの自分自身の不安であり、劣等コンプレックスであったりします。不安が大きい状態の子ども・若者は「甘やかされている」というには、かなり辛い状態でしょう。「動こうにも動きようがない」わけです。すると、この不安を抱えつつも行動を起こそうという場合には、勇気が必要なわけです。その勇気は、「このままの状態にはいたくない」という強い思いであったり、外の世界への強い思いであったりします。

 子どもに、少々のことではへこたれないタフさを求めたい気持ちや考えは理解できます。ただ、「タフな扱いをしたければ、タフな扱いが良き刺激になるような状態にしてください」と思います。一か八かと、強要するような考えは、あとで親子間の信用を大きく後退させることになるかもしれません。

Q6 ホームエデュケーションにとって大切なことは?

 アメリカなどでは宗教的な動機でホームエデュケーションを選択する家庭が多いです。日本でも、そのような家庭がホームエデュケーションの先駆者です。いっぽう、このHPをご覧の方には、一般的な不登校を契機とされる方が多いことでしょう。

 信仰でホームエデュケーションを選択している人たちと大きく異なるのは、「信じる」ということに関することです。「他人の集まる場所に行こうとしない」「自分に自信がない」「過敏さがある」などの話をよく聞きます。それらはつまり「他人や自分自身を信じることができない」と言えるのではないでしょうか。

 しかし、ホームシューレ家庭の場合「親や家族は不信の対象外」になっていることが多いのです。これが、とてもとても大切なことなんです。たとえば、子ども若者は、中長期間ですと、生活が変わる節目のようなものがあることがあります。そのとき、何が起きるか。「あのさ、アルバイトしてみようと思うんだ」「実はそろそろ人に会ってみようと思う」「〇〇を学びたいんだ」などと、「信じられる人に相談をする」ということが起きるんです。

 いっぽう、「わが子のため」と一生懸命努力したのに、それらが裏目に出て、子どもが本心を話さなくなったような場合、その子に他者とのつながりがなければ、事実上孤立してしまうわけです。そうなってくると、もはや現代ではSNSやネットのゲーム仲間のような相手を求めていくしかなくなってしまうでしょう(そのようなつながりを否定しているわけじゃありません)。

 「思春期だから親と腹を割って話さないのは当然だ」という考えどおり、思春期だけが原因ならいいのですが、「親の言うことを聞くとろくなことがない」といった不信が積み重なっていた場合、「他人も家族も頼れないし、自分も信じられない」といった環境に立ち尽くしてしまうかもしれません。ぎゃくに、「いざというときは、親が力になってくれる」という信用があれば、私たちのようなスタッフや、同じ会員の仲間の話にも耳を傾けることができやすくなります。「不信は他に波及し、信用も他に波及する」のですから。家庭内における信用関係の形成は、社会における信用関係の形成の土台になり得ると私たちは考えています。

 もちろん、信用できる相手が必ずしも親である必要はないのですが、他者とつながっていない場合においては、できるだけ親の信用があったほうがいいでしょう。「家の中にばかりいないで、外で他者と関係をつくって欲しい」と考えるのであれば、「家の中にいることを否定的に考え、外に出そうとする」よりも、「家の中の人間への信用を土台に、まず最初の信用できる少数の他人と交流する」ことのほうが、子どもの対人不信における例外を拡大するきっかけとしては有効だと思います。

Q7 子どもが不登校です。親の子育てが間違ったのかしら?

 もし、そんなふうにお考えだとしたら、そのお考えを即刻おやめになることをお勧めします。単に子どもが学校と合わなかっただけです。「合わないこと=悪いこと・劣ること」とは限りません。

 ホームシューレには、全員ではありませんが、傾向として「平和で落ち着いた環境を好む」「精神年齢が高い」「まんべんなく少しずつより、興味あることを追求することのほうが向いている」「まじめ(ときにまじめすぎる)」「いわゆる学校文化的なものが好きではない」といった人が多く集まってきます。

 既存の一般的な学校は「同年齢主義」ですが、「年齢が高めの人や精神的に落ち着いた相手のほうが話しやすい」という会員も少なくありません。また、毎年合宿を行っていますが、参加者は非常にルールやマナーをよく守ります。話し方や物腰も丁寧な人が多いです。

 また、学校が広く浅く基礎を学習しているのに比べて、興味のあることに取り組みながら知識や経験を肉付けしていったほうが向いている人も多いと感じます。

 ときどき「メンタルが弱い」とか「社会性が劣る」とみられることがありますが、実際には「既存の学校とそもそも合いにくいタイプだったことにより、ストレスが蓄積していって弱っていき、最終的に不登校になった時点では、弱りきっていて、社会を恐れるようになっていた」ということなのではないかと思います。なぜなら、リラックスして付き合える他者と出会ったり、主体的に動けるようになった人は、生き生きとしていてメンタルの弱さや社会性の低さといったものは感じないからです。「結果」を「原因」として見ないほうが良いと思います。

 間違いがあったとしたら、子どもと学校の合わなさに気が付かずにいた時期があった、ということではないでしょうか。私たちは、そもそもの子育てが間違っていたと思ったことは一度もありません。会員の保護者の方々も、子どもを甘やかそうとしたりしていませんし、放任していませんし、わがままをよしとしている人たちではなく、責任感の強い、まじめな方ばかりです。

Q8 将来、経済的に自立できるかどうか心配です。

 「自分が心配をしてあげ、何か今のうちにしてあげないと、この子を不幸にしてしまうかもしれない」もしかして、そのような心配をされているのかもしれませんね。そのようなわが子を思う気持ちは、親としては当然かもしれません。

 しかし、「心配すればするほど願いが叶う」という法則が成り立つのかといえば、「成り立たない」と考えます。なぜなら、子どもの不安がこじれていくケースでも、ほとんどの保護者は、子どもの経済的自立を積極的に願い、外で他者と交流してくれることを望んでいたし、さまざまなサポート情報を求め、チャレンジもしてきましたから。むしろ、それらを通じてこじらせていったかもしれないのです。「親が心配して、早く手を打たねばと考えることそのもの」が、時に子どもへの強いプレッシャーとなって、不安を増大させてしまう、そう考えると、「心配するポイントを間違うこと」は怖いな、と思います。

 たしかに、人が生きていくうえで必要なプレッシャーというものはあります。しかし、すでに過剰なほどの不安を抱えた人や不安を忘れようとして生活している人に対し、さらにプレッシャーを与えることは、本当に最善な行為なのでしょうか。ホームシューレ会員の多くの若者たちは、しばしば自立心が強く、経済的自立を志向している人たちがほとんどです。問題は、親あるいは子どもが、経済的自立を目指す・目指さないではなく、子どもが抱えた「対人・対社会不安」や「自分はうまくやっていけないという思い込み」や「失敗を極端に恐れること」などではないでしょうか。

 だとすれば、いくら「わが家の実情では将来経済的に自立してもらわないと困る」という思いを強めても、それは逆方向に作用すれども、願った方向には進んでいかないでしょう。

 ここで、質の良いホームエデュケーションの経験が、役立つでしょう。他人や社会と触れ合うことに不安を抱いている人は、もともとは心から人を信じたい人だったかもしれません。そのような人は、「信じるに足る誰か」「自分を受け入れてくれる人たち」と出会うことが、とても大切な経験になると思います。劣等コンプレックスを抱えた人は、もともとは誠実で誰かのために役立ちたい人だったかもしれません。そのような人は「誰かのために尽くすこと」や「誰かに喜んでもらえる経験」などで、自信を取り戻せるのかもしれません。

 長年活動しておりますので、すでに成人となり、社会人であるOBOGがたくさんいます。現役会員でも、学生・アルバイト・正社員である人も年々増えています。その中でも、充実した生活を送っている人たちは、「本当の問題点」が改善された人たちです。

 近頃の日本は、女性の社会進出や、定年延長、企業の海外進出、製造業の自動化などの影響もあり、「働けない・働かない若者」が増えています。夢を抱いて就職したものの、大きく傷ついて職を離れる人も珍しくありません。すると、「同じ家にいるのなら、少しでも明るく・楽しく・健康に暮らしているほうが良い」ということになりましょう。働けないわが子を長きにわたって嘆き、親に問題児扱いされることに嫌気のさした子どもの組み合わせは、互いに不幸です。就労・不就労にかぎらず、信用を大切にしあっていくことこそ、最善の選択だと思います。

Q&A 文責:ホームシューレ・スタッフ 矢嶋