スタッフから

 

「リラックスしてホームエデュケーションをしましょう!

「ホームエデュケーションなんかできるだろうか?どうするんだろう?」といった不安がおありでしたら、まず、「通学させるデメリットを避けている」とか「過敏な状態があるのにやみくもに社会に出そうとするリスクを回避している」と考えてみてください。それだって、相対的には立派な教育的配慮であり、行為だと思います。もう、ホームエデュケーションは始まっているんです。

つぎに、子どもが落ち着いてきたら、やみくもに「見守ればいいんだ」「やりたいと言ったらやらせればいいんだ」「やりたくないものはさせなければいいんだ」「待っていれば動き出すんだ」「話を聞いてあげればいいんだ」といった「いかにも不登校の本に書いてあるような対応」をするのではなくて、子どもの立場になって想像してみて欲しいんです。「良さげな対応をとっても、子どもの気持ちとすれ違えばうまくいかない」です。たいてい、こじれていくのは「良さげと思ってとった行動が子どもの気持ちとすれ違うこと」によるんです。

子どもがいつでも、やりたいことがあったりしているわけではないです。今後どうしていったらいいのかわかっていないことも多いです。まったくおかしなことではありませんよね。その場合、「見守られたって困る」ということもあります。

「具体的に何をしていこうか」と思われたとしたら、「名前のつかないようなこと」に目を向けてみてください。たとえば、学校だと「国語」「算数」「体育」「部活動」「運動会」「修学旅行」など、取り組むものに名前がついていますよね。フリースクールやアンスクーリングだったとしても、「ログハウス建設」とか「お化け屋敷づくり」とか「ゲーム大会」とか「お菓子づくり」とか「トマト栽培」とか、名前がつくような活動として発想していくとすれば、案外似通っているものです。在宅で、このような「名前のつく活動」でもって日々のホームエデュケーションを考え続けていくのは、実はけっこう難しいものがあるんです。「ホームエデュケーションなんかできるのかな?」と思われやすいのも、わかります。

「名前のつかないようなこと」とは、たとえば「自分以外の人と協力して何かを達成すること」です。これなら、国語でも体育でもログハウス建設でもゲーム大会でもお菓子作りでもトマト栽培でもいいんです。お母さんと一緒に夕食つくるだけだっていい。「名前」じゃなくて、ちょっとした短い文章になるようなことを考えますと、気合をいれて意識的にやらなくても、家の中でだってできることがたくさんあります。じつは、学校だって、体育をさせるために体育をやってるわけじゃありませんからね。フリースクールやアンスクーリングだって、同じです。中身が大事なんです。「他者の立場になって考えてみる」とか「少し苦手意識があっても勇気出してやってみて成功する」とか「失敗から学ぶ」とか「発想を転換する」とか・・・。「いかにも学習してます風の名前はついているが中身のない学び」で時間を無駄遣いしないようにしたらいいと思います。

多くの保護者が気になる「他者との人間関係」「生活習慣」「学力」「進路」「経済的自立」などのことは、「こだわって欲すればどうにかなる」のではなくて、むしろこだわってこじれることがあります。「筋金入りの勉強嫌い」は、しばしば勉強という「結果」が欲しい保護者がそのように育てています。「勉強がよくできる人」を思い浮かべてみてください。いろいろ物知りではなかったですか?教科書に載っていないことまで興味もっていませんでしたか?「結果」にこだわるよりも、「結果を出すまでの過程」にこだわったほうが良いと思います。「最低限の学力を」などと、味気ない知識の詰め込みをするから勉強嫌いになります。歴史好きの子は、教科書に載ってないところまでよく知っています。最低限ではなくて、「面白さ」や「味わい」こそ優先させるべきだと思います。

人間関係について言えば、「引きこもっている」のではなく、たいてい「避けている」んです。対象となる人間というよりも、「自分が他者と対応するシチエ―ション」を避けていると思います。何かしらそこに大きな不安を抱くようになった経験があるんでしょう。とすれば「逃げるな!」とか「ハードルの低い交流経験をスモールステップでやっていけば・・・」といった考えよりも先に、「不安はあるが交流してみたい誰か」のほうが大事なように思います。「あなたは能力が低いのだから、せめて最低限このくらいのゆるいところから」のような発想ではなくて、「この子はどんな人との出会いを求めてるんだろうか?」くらいから考えてはどうでしょうか。ちなみにホームシューレは「平和主義で」「真面目で(真面目すぎて)」「精神年齢が高い印象」という人が多いです。だから、同年齢同地域にこだわらず、「平和主義で真面目で精神年齢高くても居心地よく感じられる人たち」で「共通の話題で盛り上がれそうな人たち」と交流したがることが多いです。

「いかにもホームエデュケーションっぽい」というのは、私はどうでもいいことだと思います。それぞれのご家庭のお子さんとご家族にとって、そのことが結果的に社会にとって良きものになっていればいいわけですから。

 

「保護者が気になる進路のこと」

文科省は2019年、事実上それまでの「学校復帰施策」を撤回しました。従って、今や原籍校に戻るか戻らないか、出席日数になるかならないかは、大きな問題ではなくなりました。

また、今は不登校経験のある人の進学先として、通信制高校や公立の単位制高校や高認(高校卒業程度認定試験)や高認のサポート校などがあります。大学や専門学校も、AO試験や推薦入試の割合が増え、今や学力試験ゼロでも進学したりすることができます。従って、難易度にこだわらなければ、高校や大学に進学すること自体は、昔よりずっと容易になっています。

ホームシューレでも通信制高校と高認サポート合わせると、高校卒業資格(高認含む)の取得率はかなり高い状態が続いています。提携先の三和高校ホームシューレ・コースでは、入学直後に退学した人を除きますと、2021年時点では100%でした。大学・専門学校についても、進学希望者は全員進学をしています。また、年長会員のアルバイト支援も毎年実施していますが、フリースクールや一般的な高校生・大学生と比べて、特段少ないということはないと思います。容易になった分、今や進学率やアルバイト経験率はさほど重要なことではないと考え始めました。

今、在宅不登校やその経験者の、いちばん大きなよくある問題は「就労不安」ではないかと思います。就労不安は、「対人不安や社会的行動に対する過敏」「内発的動機や意欲の継続や心身のエネルギー配分」や「職業や自分に理想を投影しすぎて落差に凹むこと」などなどによって生まれますが、それらは、単に学歴を取り続けていったり、学力をつけていけば軽減されるというわけでもありません。親世代の受験戦争とは異なり、勉強して学歴を進めていけば就労で有利になる、とは言えなくなってきているのです。

より具体的に言えば、「学校や不登校後から持っている対人不安等から就労を見てしまうことによる就労不安」こそ、学校どうこうよりもずっと重要になってきています。たとえば、対人不安をそのまま温存しつつ、いくらハードルが低いからといって進学をどんどん進めていきますと、大学の就活や就職後に、抱え続けた問題によって再び不適応が起きるかもしれません。

もし、後天的に学校経験などで不適応を経験し、それが残念なことに根付いてしまったとしたら、ホームエデュケーションで、会いたい人と出会ったり、打ち込めるものを見つけたり、自分の価値を発見したり、追求する中で大いに成長したり、という「就労不安のある人が進路っぽいことをする前にやっておりたほうがいいこと」に力を入れてはどうでしょうか。

ホームシューレスタッフは、「進路っぽい支援が必ずしも進路に効果的な支援かどうかは、わからない」と考えています。でも「人や自分が好きになれたこと」や「他者を思いやれる少しの心の余裕」のようなものは、現代の進路においても絶大な効果を発揮する、と思っていますし、そうした姿をたくさん見てきました。

進路が気になったら、ひたすら進路先の情報を集めて「うちの子でも行けるところ」のような「とりあえず進学」「とりあえずアルバイト」のように考える前に、やったほうがいいことがあるかもしれません。その子の本来の姿、親が心をこめて育ててきた部分が、まだ隠れているかもしれないので。

 

スタッフ矢嶋